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TOP : 茨のたとえと「建国記念の日」
投稿者 : doumei 投稿日時: 2018-02-01 15:59:25 (358 ヒット)

 茨のたとえと「建国記念の日」

信徒理事 青木 栄一(千種キリスト教会員)

 そこで、すべての木が茨に言った。「あなたが来て、私たちの王になってください。」茨は木々に言った。「もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなた方の王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすであろう。」士師記9章14〜15節

 木々がはじめに王になって欲しいと頼んだオリーブは「私は、神と人をあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。」と断り、次に頼んだいちじくは「私は、私の甘みと良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。」と断りました。さらにぶどうにも断わられ、最後に茨に王になってほしいと頼みました。

 茨には鋭いとげがあり、果実も結ばず、建築資材にもならず、燃えやすく、普段は役に立たない木です。茨の木に例えられたアビメルクは、傭兵隊の暴力を背景に、シェケムの民の支持によってイスラエル人で「王」と呼ばれる最初の人になりました。この話は、統治者の権力は合法的暴力の独占の上に成立すること、その役割は民を守ることにあるが、民に暴虐な支配を行うこともあること、しかし民の支持がなければやがて失墜する、という権力の本質を良く示しています。王は神ではなく、それどころか、オリーブにもいちじくにもぶどうにも劣る存在で、ただ人々を守るだけがその役割です。この権力観は、旧新約聖書を通じて一貫していると言って良いでしょう。

 2月11日は「建国記念の日」、戦前は「紀元節」と言われ、天照大神を始祖とする最初の天皇が即位した日とされていました。統治者の即位によって日本という国が生まれたとする神話であり、天皇の地位は万世一系の聖性を帯びたものとされました。戦前の治安維持法では、組織や団体が天皇制廃止の主張をするだけで、「国体を変革することを目的とした」として、構成員は処罰され、指導者には最高で死刑の刑罰がありました。小学校で生徒が暗記させられた教育勅語では「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ」と述べ、国家の統治者が道徳を教える者とされていました。しかし、統治者の地位も権限も神話や伝統によっては正当化されません。

 現憲法の前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」という文言で始まり、これを「人類普遍の原理」としています。ところが、現在の自民党の改憲草案では「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇をいただく国家であって」という一文で始まります。普遍の原理でなく、特殊な価値を強調するのです。これは戦前の日本への回帰を意味します。

 普遍の原理があって、そのもとに日本の国家体制があるとする現憲法の原則こそが、聖書に語られた神の教えと一致するのです。 

 ところで現行の「建国記念の日」は戦後、長い紀元節復活運動の末に1966年、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として祝日になりましたが、その日は法律で決めるのではなく内閣が制定する政令で定めるとされました。名称も「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とされました。政権が代われば変更も可能なのです。憲法の国民主権の原則とギリギリの妥協をしたとも言えるのです。当時の反対運動の一つの成果とは言えるでしょう。施行以来70年余、この国はまだまだ憲法の定める原則が国民の中に根着いていく過程にあります。悲観することはありません。私たちキリスト者も、一つ一つ声を上げることにより、憲法原則を日本の政治と社会に定着させていく活動が必要です。


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